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大橋謙策先生の部屋

老婆心お節介情報 第68号

2025年4月 4日

 皆さんお変わりありませんか。
我が家の庭は、朱海棠、ミツバツツジが満開です。春はいいですね。
皆さんは、新年度を迎えられ、新たな気持ちで仕事に向かわれていることと思います。人事異動があった方は、差し支えなければお教えください。
「老爺心お節介情報」第68号は、36年振りに訪ねた下伊那、飯田で学んだことです。

I.地域づくりの基本は「選択的土着民」の形成と「第3の分権化」

(1)人口減少、超高齢化社会、財政力が弱い町村の地域福祉を考える『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加して

 3月25日に行われた長野県社会福祉協議会主催の『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加してきました。
南信州とは、静岡県とに隣接する売木村(人口497人、高齢化率46.6%、財政力指数0.11)、天龍村(1,000人、高齢化率61.7%、財政力指数0.16)、阿南町(3,825人、高齢化率39.0%、財政力指数0.18)、泰阜村(1,385人、高齢化率43.3%、財政力指数0.15)、下条村(3,288人、高齢化率37.0%、財政力指数0.23)の5ケ町村を指しています。
この5ケ町村は、人口の少ない小規模町村のみならず、超高齢化社会になっているうえに、町村の財政力指数がいずれも低く、自治体経営自体が厳しい状況に陥っています。
今回の取り組みは、昨年度から始まった木曽郡6町村の社会福祉協議会連携事業の第2弾として、南信州5町村でも連携を深めようと実施されました。
仕掛け人、コーディネーターはNPO法人はなぶさ学園理事長の木下英幸さんです。 はなぶさ学園は、NPO法人のフットワークの良さを発揮し、下伊那郡松川町の重層的支援体制整備事業の「参加支援」等を受託し、取り組んでくれています。
今回は、長野県社会福祉協議会が山梨県社会福祉協議会とジョイントして、「休眠預金事業」の助成事業にトライし、「人口減少・過疎化・超高齢化の小規模町村における地域福祉・連携推進のあり方」のテーマが採択され、その一環で今回の事業は取り組まれました。
参加者は50名弱でしたが、オンラインでの参加もあり、かつ遠くは塩尻市からも参加してくれ、嬉しい集いになりました。詳しい報告書は、後日長野県社会福祉協議会から出されると思います。
『南信州地域福祉・連携推進の集い』では、小規模町村であればあるほど、社会福祉の分野での「縦割り福祉」を無くし、地域共生社会政策が求めているような全世代対応型の福祉サービスの提供、農福連携、工福連携も含めた「福祉は地域づくり」という考え方が必要で、そのためには施設経営の社会福祉法人、社会福祉協議会が一体的に、オール福祉という視点で取り組む必要があること、個々の町村だけでなく、圏域を拡大して連携社会福祉法人の考え方を導入することの必要性を述べました。それらの拠点に施設経営の社会福祉法人が地域貢献事業を発展させて取り組みを進めること、行政と社会福祉協議会が協働して重層的支援体制整備事業を推進する必要性があることを述べました。
その上で、島根県海士町(人口2,200人、高齢化率39.9%)の社会福祉協議会が中心になって、施設経営の二つの社会福祉法人と町社会福祉協議会が合併した実践(「月刊福祉」2025年4月号の片桐一彦論文参照)や『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎)を紹介しました。
私にとって、今回の飯田市訪問は、36年ぐらい前に、飯田市の社会福祉大会に招聘された際に訪れて以来ということで、本当に久しぶりの訪問でした。

(2)"私の地域福祉実践・研究の心のふるさと"阿智村の住民主体の地域づくり

 私にとって飯田・下伊那地域は"私の地域福祉実践・研究の心のふるさと"なのです。
私は、社会教育法第3条の"実際生活に即する文化的教養"を高める社会教育の実践こそが大切で、それには地域住民の問題発見・問題解決型共同学習の実践による地域づくり、社会教育の振興が大切だと教わり、そこに地域福祉と社会教育との学際研究の糸口を見出しました。私が、市町村の地域福祉計画策定における住民座談会の開催を大事にし、そこで明らかになった住民のニーズを基に、新しい福祉サービスの開発、福祉サービス供給システムの構築の必要性を指摘してきたことは下伊那から学んだものです。更に、私が地域福祉の4つの主体形成の必要性を指摘していることも下伊那から学んだことです。
1966年2月に、私(当時日本社会事業大学の学部3年生)は、恩師の小川利夫先生が阿智村で講演される機会に帯同し、阿智村の公民館主事であった岡庭一雄さんの家に寄宿させて頂いて、社会教育実習、社会福祉実習をさせて頂きました。寒い地域なので、私はアノラック姿で役場に出勤したら、教育長に怒られ、急遽、岡庭一雄さんの背広を借りて、実習をすることになりました。実習中に参加した下伊那郡阿智村での住民集会は、岡庭公民館主事、園原保健師、生活改良普及員(名前を忘れました)と私のように福祉を学び、社会教育との学際研究・実践を志す学生の4人で地域に入りました。その時の経験が"私の地域福祉実践・研究の心のふるさと"なのです。その時の住民の生活の厳しさ、日常生活とその意識を変えることの難しさ、住民の生活の厳しい状況の社会構造、在宅の障害者の生活実態などについて私はいろいろ考える機会を与えて頂きました。ちなみに、その時の実習は、阿智村に続いて喬木村、松川町の実習と続きます。喬木村では、当時進められていた長野県の小渋川開発に関する住民の学習に供するため、「公民館報喬木」に土地収用法の解説を分かりやすく書けといわれ、法学を専門に学んだものでないにも関わらず執筆したことを覚えています。
また、松川町では、全国的に有名になり、その後、全国の保健師が松川町詣でをする"聖地"になった「松川町健康学習の集い」の第1回に参加した思い出があります。それは"風が吹けば桶屋が儲かる"との例えとよく似ていて、松川町で①子ども虫歯が多い、②親が袋菓子をまるごと与えている、③なぜ親が袋菓子をまるごと与えているかというと、親は果樹栽培に忙しく、子どもの世話が十分できないといった生活実態を明らかにし、住民がどうしたらいいのかを考える集いでした。その頃、"農家の嫁を9時に寝かせる"運動にも取り組んでいました。

この後、私は長野県茅野市、中野市、須坂市、山ノ内町等、当時東京大学教育学部を卒業し、長野県の市町に就職し、社会教育活動に邁進している先輩たちを訪ね歩きました。山ノ内町では、柄沢社会教育主事が運転するバイクの後ろに乗り、寒風吹きすさぶ夜、リンゴ畑の中を走り、青年たちの学習会に参加したりしました。その時は、小学校の部屋で寄宿させて頂き、とても寒い夜を過ごしたことも楽しい思い出に残っています。
このような実習を可能にさせてくれたのは、長野県社会教育主事たちのネットワークがあったからであり、中でも東京大学教育学部の宮原誠一研究室の先輩達のお陰です。この場を借りて、改めて60年前の恩義に厚く感謝とお礼を申し上げます。と同時に、恩師の小川利夫先生のお陰でもあります。

小川利夫先生は、箴言として「人の幸せ、それは人と人とのふれあいの豊かさと深さにある」(1993年2月20日)と述べているように、人と人とのつながりを大切にし、手帳にはがきを挟んでおいて、旅先からでもせっせと手紙を書いて出している先生でした。実践者を組織化し、研究者を組織化することを常に心がけている先生で、私が提唱してきた「実践家と研究者のバッテリー型研究方法」は小川利夫先生に大きな影響を受けています。小川利夫先生は、阿智村でも名古屋大学社会教育研究室を中軸にした「生涯学習セミナー」を開催しています。小川利夫先生は、自分の名刺に"大橋謙策君をよろしく頼む"と一筆書きし、印鑑を押してくれて、これをもってどこそこの誰々を訪ねろと何枚も名刺を持たせてくれました。いわば、"通行手形"のようなもので、それがあったために、見ず知らずの私を多くの先輩たちが受け入れてくれた訳です。そんな小川利夫先生を研究者として見習おうと努めてきましたが、いまだ足元にも及ばない状況です。

今回の訪問では、喬木村の実習で寄宿させて頂いた喬木村阿島の曹洞宗の淵静寺に寄り、お世話になった小原玄祐さん(喬木村の社会教育主事でもあった)、小原道子さん夫妻の墓参をさせて頂きました。阿智村では、岡庭一雄さんの家にお邪魔し、お世話になったお母さまの仏壇にお線香をあげさせて頂き、昔のご恩に感謝とお礼を捧げさせて頂きました。その後、岡村一雄さんの車で村内を案内して頂きながら、阿智村の地域づくりについていろいろお話を伺いました。
岡庭一雄さんは、私の一年先輩で、1942年生まれです。私と境遇がよく似ており、1944年に御父上が出征し、戦死されています。私は1943年10月生まれで、父は1944年の5月に出征し、シベリア抑留中に病死しました。そんなこともあり、私は岡庭一雄さんにとても親しみを感じていました。
私が阿智村で実習させて頂いた時、岡庭さんは公民館主事で、その後阿智村の社会教育係長、商工観光課長、建設課長、環境水道課長を経て1997年12月に退職し、翌年の1998年2月に行われた村長選挙に青年層から担ぎ出されて当選。村長を4期務められました。

岡庭村政の理念を私なりに一言でいうならば「住民主体の地域づくりを行政が支える」というもので、行政と住民の協働という考え方よりも、一歩先を行った住民自治の村政といってよいと思います。それは、1967年から続けられている「阿智村社会教育研究集会」の伝統が基盤となっています。「阿智村社会教育研究集会」は、「地域の子育て」、「健康づくり」、「福祉」、「地域と産業」、「自然・歴史・文化」等の分科会が開設され、住民自身の手で内容の企画、当日の進行・記録まで行われる住民主体の集会です。
これらの阿智村の社会教育振興には、私の恩師である小川利夫先生が深く関わっています。この方式は、「社会教育研究全国集会」の阿智村版で、私などもそれに学び1970年代に東京都稲城市で同じようなセミナーを開催してきました。28回続けてきた日本地域福祉研究所の全国地域福祉実践研究セミナーや26回になった四国地域福祉実践研究セミナーもこの手作りの、住民主体で運営される「社会教育研究全国集会」に学んだものです。「阿智村社会教育研究集会」で、住民たちが地域の問題を出し合い、論議し、その改善、改革を図る力を身に着ける活動を継続していけているということが、阿智村村政の底流にあるということをしっかりと見据えなければならないとつくづく思いました。

私が4つの地域福祉の主体形成(①地域福祉実践の主体形成、②地域福祉サービス利用の主体形成、③地域福祉計画策定の主体形成、④社会保険契約の主体形成)の重要性を1970年代末に指摘し、そのための福祉教育の必要性をのべたのも、同じ考え方です。これらの社会教育の振興に尽力した公民館主事、社会教育主事の集団が当時下伊那地域にあり、喬木村の島田修一社会教育主事(後に東京大学教育学部助手、中央大学教授)や松川町の松下拡社会教育主事等下伊那・飯田地区の社会教育関係職員が、自分たちのあるべき姿を求めて、「下伊那テーゼ」と呼ばれる社会教育主事、公民館主事の行動規範を作成します。岡庭一雄さんはそれらの集団の仲間と切磋琢磨し、住民自治と社会教育の重要性に目覚めていったのだと思います。
阿智村では、従来の自然発生的町内会(集落)ではなく、住民主体で地域づくりを担ってもらうことを目的に、平成10年から新たな自治会を組織することを住民に要請してきました。自治会には、自治会ごとに5か年間の地区計画(地域づくり計画)を作ってもらい、各地区の特色を活かした住民主体の地域づくりを推進しています。行政は、「自治会活動支援金」制度を作り、自治会活動の活性化を支援しています。

私は1990年代初頭に、東京都社会福祉審議会で「第3の分権化」の必要性を提起し、答申に盛り込まれています。「第3の分権化」とは、国から都道府県(第1の分権化)、都道府県から市町村(第2の分権化)、市町村から地域住民組織への分権化(第3の分権化)であり、社会福祉分野における住民主体の地域づくりの必要性と重要性を指摘しました。
この「第3の分権化」構想は、市町村に公民館を設置する際に、中央公民館構想で行くのか、自律した、各々の地区が独立した地区公民館構想で行くのかという論議を1970年代初頭に、私自身が住んでいる東京都稲城市の社会教育委員として論議した時からの課題、構想でした。また、1970年代から、私は幾度となくデンマーク、スウェーデンに調査研究に行き、対人福祉サービスを住民のニーズに対応して、きめ細かく提供するために、市町村の中を分権化して、地区毎に権限を与えてサービスを提供しているシステムを見聞し、日本の在宅福祉サービスを展開する上ではこの「第3の分権化」が必要であると温めていた構想でした。
そこでは、デンマークの生活支援法やスウェーデンの社会サービス法が大変参考になりました。

ところで、 阿智村の住民主体の地域づくりを最も具現化している方式が、平成13年度(2001年度)から進められている「阿智村むらづくり委員会事業」だと思います。「村づくり委員会事業」は、阿智村の協働活動推進課の予算事業で、5人以上の村民が集まって行う自主的な村づくりの活動です。補助金は原則10万円以内ですが、研修に必要な講師の旅費、講師の謝金、参考図書代、印刷製本費などに支出可能で、補助決定の決裁権は村長ではなく、協働活動推進課の課長決済で行われています。岡庭さん曰く、村長決済だと、どうしても政治がらみになりかねないので、課長決済にしたということです。
この「村づくり委員会事業」は、今まで18団体が助成を受け、活動を展開してきているという。
代表的な事例としては、平成13年(2001年)に養護学校(当時)の在学生の親たちが中心となって「通所施設を考える会」を発足させ、それがのちに「村づくり委員会事業」に採択され、検討を重ね、2005年社会福祉法人「夢のつばさ」が開設されます。現在では、グループホーム、地域活動支援センター、多機能型事業所、移動支援事業等の7つの拠点事業所でサービスを提供しています。阿智村の障害者の概況は身体障害者手帳所持者約500人、療育手帳所持者約50名、精神保健福祉手帳所持者約20名となっており、社会福祉法人「夢のつばさ」が多機能型事業所を経営していることもあり、阿智村での大きな拠り所になっています。また、「村づくり委員会事業」の一つとして、「図書館づくり委員会」があります。この委員会は、以前から住民が読み聞かせ活動をしていたこともあり、「村づくり委員会事業」として最初に認定された委員会です。結果的に、中央公民館を改修し、その中に図書館を建設することになりました。「村づくり委員会事業」のメンバーであった住民が図書館司書の資格を取得し、現在図書館に勤めているといいます。

このように、阿智村の「村づくり委員会事業」は、静岡県掛川市の榛村純一市長が1970年代に提唱した「選択的土着民」の形成を行っており、住民主体の村づくりに大きく貢献をしてきたと言える。阿智村の村づくりに大きく関わった小川利夫先生は、常に「福祉は教育の母体であり、教育は福祉の結晶である。社会教育は教育と福祉、福祉と教育を結ぶものである」、(1993年2月19日)と言い続けてきましたが、その考え方が実証された阿智村の実践と言えます(岡庭一雄、細山俊男、辻浩編『自治が育つ学びと協働 南信州・阿智村』自治体研究社、2018年2月参照)。

II.閑話

 去る3月29日~30日に、子どもたちが企画して、私たち夫妻の「金婚式」と「傘寿の祝い」を湯河原温泉の創業80年の宿でしてくれました。紫色の被りものとちゃんちゃんこを着せられ、写真を撮りました。
新型コロナで延び延びになっていた「金婚式」と孫たちの受験等もあって「傘寿の祝い」も延期されていました。「還暦の祝い」も湯河原温泉、「古希の祝い」も湯河原温泉で、宿は各々違いましたが、何か奇しくも同じ湯河原温泉で行われました。
 部屋から眺める、苔むした庭には樹齢100年の梅の古木があり、梅の花は終わっていましたが、温泉の湯舟からの桜と利休梅の花が丁度見頃でした。温泉と美味しい料理に舌鼓を打ち、満たされた旅行を楽しみました。
 帰路、熱海のMOA美術館に寄り、歌川広重の浮世絵を心置きなく見ることができました。まさに至福の時でした。

(備考)

 「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢 市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
 この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)・著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。
ご参照ください。
第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と居きる意味を知るー
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―
第5巻「研修・講演録
第6巻「経歴と研究業績」 

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